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A leaf in a bottle

とある精神疾患者の日常

はてなブログ

雑記

Seesaaブログで始めたこのブログ、次にFC2にいって最後にここにきました。はてなブログが他のよりよかったということはなく。とりあえず前のふたつのプロバイダのテンプレートにあまり魅力を感じられませんでした。

はてなブログに落ち着いたのは、文字がすっきりと見えるし、シンプルで見やすかったから。記事の文字数もカウントしてくれるし、見たまま投稿では実際に投稿するときのレイアウトが想像しやすかったので。

 

でもはてなブログにも欠点がなくはなく。一番困ったのがアクセス数です。プロバイダのポータルページで新着記事を見てくれる人が他のプロバイダより圧倒的に少ない。考えてみたら何か記事を読もうと思って「まずはてなを」という人はあまりいませんし。

何かで検索して、はてなの記事が引っかかったというのがほとんどなんでしょうね。グループでアクセス数が若干増える前はのきなみゼロで。私の場合は新着記事一覧から見てもらう作戦だったので、この方法がとれないはてなは、今でも一日のアクセスが2桁に乗りません。

精神・心理関係の専門家ではないので、詳しい解説をすることもできませんし。内容が貧弱なだけに、こういうことがあるという体験や、意見紹介ぐらいが関の山です。

 

はてなスターは面白いと思いますけど。なんかつけられたらつけ返さないといけないという義務みたいになりそうで。相手の記事を全部読んでいられないので、私の中ではあまり必要な機能ではないです。

その方が身軽で済むような気もしますけど。

あと、テンプレートの改造が簡単にはいかないかな。私の知識だとCSSの特定の項目をいじるぐらい。とても大幅に書き換えられる感じがしません。これはちょっと不便です。デザインを変えたくなっても、タグとかプロパティとか、なかなかすぐに見つけられません。

どこかにいいプロバイダはないものか。はてながもうちょっと敷居が低ければいいのに。

 

今のところ、はてなの他の機能を使ってません。はてなブログぐらい。絵を描いて投稿してみようかと思っても、画像の機能をいちいち登録するのもなんだかなぁ。いろいろ機能がついているのに、何となく二の足を踏んで結局必要最低限のものだけ。

ブックマークの機能とかも、IT技術系のブログにしか使わないだろうし、とりあえず知りたかったら検索サイトで検索して出てきたサイトを片っ端から見るだけだから、はてなは関係ない。

うーん……。

高機能なのか、使いにくいのか微妙なところ。集客をプロバイダの人気に任せたい人には、あまり向いていないのかも。

アウティング

雑記

一橋大学LGBTの男子学生が自殺したというニュースをポータルサイトで見ました。アウティング(outing)っていう言葉は知らなかったのですが、自分の性に関する秘密を暴露されてしまったことがひとつの原因と言われています。

他人事じゃないです。私も親しい人に誰かがアウティングしたらと思うと、とても恐ろしいです。でも、私の場合は隠しておけるほど男としての資質や男らしさが悲しいくらいになくて。家の近所ではアウティング状態。

私を見るなり走って逃げたり、親にひそひそ話をして私の性的なことを暴露したり、家の近所でここの家に住んでいると他の子に教えたり。いろいろなことをされました。

死にたいって思わないわけにはいかなくて。男子学生の気持ちは痛いほどよく分かるのですが。私は━━死ねるほどの勇気もないです。

 

私と男子学生とが違うところは、きっと彼は普通に見たら男だということ。だから告白した人に自分からカミングアウトするまでは、多分誰も知らなかったと思います。私が気持ち悪がられて友達がいないのに対して、彼はきっと友達が何人かいたと思います。

アウティングがその人を追い詰めるのは、自分が経験して分かっています。私もどこかで死んでいたかもしれませんし。自分が他人とは異質な性別だと知られたとき、どんな恐怖がよぎったのか、少し自分と重なって見えました。

普通に生活することが、こんなにも難しいんですね。LGBTの人だって普通に生きているのに。普通の人と違うことがそんなにも気持ち悪いものかな。

 

彼は生きることを諦めてしまいました。私も他の人とつながることを諦めました。どこかでアウティングされるかもしれないので、もしかしたらここを去らなければいけないかもしれないという怖さはいつもついて回ります。

これが現実、という感じです。LGBTに対する理解を期待してはいけないかな。でも、それなら私も同じようにアウティングに対して理解はしません。男子学生のことをアウティングした人や、それを擁護する人には同じような目に遭ってほしい。

LGBTで苦しんでいる人はその人自身だと思います。

 

一橋大学は、男子学生の性が治療によって治るとか思ってたんでしょうか。治療によって治すべきものなのか、疑問に思います。私のクリニックでも、男に戻るための治療をしてもらったことはありません。

最後は、こういう性だと自分で受け容れることしかありませんし、受け容れてくれる人を探すしかないんでしょうね。でも受け容れてくれたと思った人が突然アウティングで距離を開けようとしてきたりすることもあるし。

答えはありません。何がいいのか、私も誰かに教えてもらいたいくらい。

 

ご冥福をお祈りいたします。

やっと1年

つぶやき

今日でブログを始めてから1年たちました。

精神関係で自分の思ったこと、感じたことを記事にしたいと思って始めたこのブログ。アクセス数はほとんどないので成功したとは全然言えませんが、一応それでも自分の書きたい記事を書くということではある意味成功したかもしれません。

ひとりから始まった「こころの部屋」というグループも、今では50名を超えました。それだけ生きにくいと感じる人がいるということなんでしょうか。

横のつながりはないので、同じグループの人との交流はありませんが、時々他の人の記事を読ませてもらったりしていました。

接触障がいの人、ニートの人、うつの人、双極性障がいの人、など。いろんな人がいますね。私とある部分が重なる人もいますが、その人によって困っていることやつらいことは様々なようです。

1年続けてみて、自分のことが整理できたということは残念ながらなく、いろんな部分を切り取ってみましたが、全体としてはカオスであることに変わりはなく。もやもやとした日常の中にいることは以前と同じです。

ただ、つらいと思っていることを文字にしたことで、自分がつらいことはこういうことだと改めて思い返すことができて、少しは「喪の作業」というか、現実を受け容れることに近づいたかなと思います。

一応今後も続ける予定ではありますが、今後も誰かの賞賛や批判を気にせず、自分の気持ちをまず第一にしようと思います。今後は更新も滞ると思います。

発信できる情報は役に立たないので、エッセイというよりかは単なる個人の感想文でしかありませんが。お読みくださった方に感謝します。

ありがとうございました。

妄想の判定

雑記

精神科医が患者が語る話を妄想だと判定するのはどんなときでしょうか。例えば、統合失調症の患者さんは想像と現実との区別がつかず、語られるエピソードは妄想だと判定されるケースが多いみたいですが。話はそう簡単にはいかないと思います。

私が作業所で統合失調症のメンバーさんと話をすると、薬で症状が抑えられているせいか、表面上は妄想めいた話は出てきません。でも、その人の信条に関連してくるエピソードについては、首をかしげる話が出てこないこともありません。

自分は前世が見えるとか、先祖がこういう風に自分に言ってくるとか。本当に霊能力者ならあり得ますが、そうそう霊能力を持っている人はいませんし。何となく妄想かなと私は判断します。

他にも、自分はすでに死んでいて、今の自分は何度目かの生まれ変わりだと固く信じている人もいます。こういった類の話は、科学的でないからとかいう問題以前に、他の人が確かめることはできないので、言われても同意できません。ついでに言うと、反論してもこういった場合は絶対考えを変えてはくれません。

こういったのとは逆に絶対に違うと分かる妄想の場合もあります。例えば有名人と結婚したとか、有名な歌を自分が作ったとかいう話。結婚の場合は、有名人が独身だからそういった妄想を抱くのでしょうけど。有名人と出会う機会などそうそうないものです。こういったときは適当に話を流して本気にはしません。現実的ではないと思うからです。

ところで。妄想とは別に、考え過ぎというものもあります。例えば、あの人は私に笑顔を見せないから、本当は私のことが嫌いなんじゃないか、といったもの。これは他の人が直接確かめることはできないというのはありますが、完全にあり得ない話ではないので、それは違うと言い難いものです。

私はこちらの方です。他人の言動からネガティブな感情を推測して、ネガティブな結論を出してしまいます。被害妄想と違うのは、実際に起こった出来事であること。判断は間違っていても、原因となったことは事実としてそこにあるわけです。

ここで問題がひとつ。その事実は誰が判定するか、ということ。

前の作業所の職員に、あなたは病気だから、と、言っていることを全て妄想のように言われたことがあります。ありえないしありもしない、と決めてかかってくるので、かなり腹を立てました。

福祉関係の人でも、病気だから妄想を言っていると決めてかかっている人がいます。そういった人にはどんなことを言っても妄想だと片付けられます。そんなことはあり得ないと断定することなんて、本当は誰にもできないはずなのに。

病気の人は妄想しか言わないわけでもないし、普通の人が妄想に偏らないという保証もありません。冒頭に戻りますが、精神科医はその人の話をどう妄想だと判定するのでしょうか。

妄想かどうか、できるだけ検証しようとする努力なくして、妄想と断じることは危険だと私は思います。

ヘイトクライム

雑記

 つい最近、凄惨な事件が起きました。神奈川県相模原市障がい者施設で20人近い人が刃物で殺されるという恐ろしい事件。犯人の主張を聞いて、こんなバカな話があるかと怒りが湧き起こりました。でも、こういった犯罪は、今、海外でも頻発しているようです。

テレビでこういった類の事件を総称して、ヘイトクライムと呼んでいるのを知りました。ヘイトクライム(hate crime)━━直訳すると、憎悪の犯罪です。Wikipediaでも見てみました。ある特徴を持つ個人や集団に対して、それらへの偏見や憎悪を元に引き起こされる犯罪のこと。

日本では何のことかあまりよく分かりませんが、世界に目を向ければ、テロという形で欧米に制裁を加えようとする人たちがいます。彼らは欧米を敵視していて、そこに住む人たちを殺すことは正しいと思っているようなところがあります。

今回の事件は、障がい者に対する偏見や差別、憎悪感情といったものによって引き起こされたヘイトクライムではないかと報道でやっていました。犯人の植松容疑者が何によってこういった思想を持ったのか、未だ解明されないままですが、彼自身がその偏見について自分は正しいと思い込み、犯行に至ったのは間違いないでしょう。

普通に見たら、こういった思想はかなり頭がイッた人間の考えることだと危険視されるべきものですが。ここ最近は、自分は関係ないと言い切ることができないような流れに世界中がなってきているようです。

差別や偏見といった負の感情は一般の人にも普通に存在していて、今まではそれを理性で押さえつけてこられました。でもネットなどで匿名で情報が発信できる現在では、匿名の元で差別的な本音が書きこまれ、それによって偏見や憎悪が拡散される時代になっている。テレビで見たのはこういった感じの分析でした。

アメリカのトランプ氏などのように、人々の不満や否定的な感情を代弁し、それによってたくさんの指示を集める政治家も出てきています。トランプ氏はメキシコのことについて批判しています。暗にアメリカに住む人たちの方が正しいと、人々を煽っているのかもしれません。

話を戻して。こういった差別意識は普通の生活でも現れるもので。今回の相模原の事件を通じて考えさせられました。つい最近ヘイトスピーチに対してクローズアップされてきたところなのに。事態は思ったより深刻な気がします。

嫌いであることはそれ自体何ら法律に違反していません。でも、こういった差別感情は、何かのきっかけで増幅され、拡大し、ついには相手を暴力によって排除しようとするまでに発展していくもののようです。

殺された障がい者がどんな恐怖を味わったのか。理不尽としか思えません。障がい者が一体植松容疑者に何をしたって言うんだろう。

ヘイトクライムはすぐ身近にあるようで、恐ろしいです。

引きこもりの私へ

雑記

社会的引きこもりになってかれこれ10数年。高校を出てから引きこもって、ただ時間を無駄に費やしたので、今になってそのツケがいろいろ出てきました。自分の時間も可能性も閉じていく一方。嘆いてみても戻ってきません。

でもその当時はまるで行ける場所もなく、他に頼りとするところもなかったので、その頃の自分を、仕方がなかったんだと許したいと思っています。たとえ間違っていたとしても、私には自分で社会に食らいついていくすべはありませんでしたから。

あの頃の私が引きこもりにならずにすむとしたら、どんなことが必要だったのか。カウンセリングでも大分前に、自分から話題にしたことがあったと思います。でもあまり記憶には残っていません。考えてもよく分からなかったからかなと思います。

今でもあまりよく分かっていませんけど。でも、今この歳になって思うのは、もっと早めに精神科に行けばよかったということ。自分がキチガイと認める認めないの問題ではなく、行く場所と相談するところが必要だったのだと思います。

もちろんそれが精神科ではなく保健所であったとしても全然問題ありませんでした。行政に支援を求めることができていたら、私の困りごとに対して適切な救いの手が差し伸べられていたかもしれません。

でも、これが思いの外難しいことでした。何しろ、当時は引きこもりの知識もあまりなく、こういう自分を誰にどうしてもらったらいいか分からなかったのです。親は頑なに社会に出ることを嫌がる私に、そっとしておくという配慮をしてくれましたが、私のことをどうしたらいいか分からないようでした。

引きこもりが社会問題だと取り上げられたのはいつ頃だったでしょうか。私が最初に精神科にかかったときも、医師にニートですと自分から言ってもニートって何と聞き返されました。そういう社会的な認知が整う以前の人は、かなり肩身が狭い思いをしたかもしれません。

そう考えると、行政に相談しても、引きこもりが取り扱われなかった可能性もありますね。引きこもりの社会的認知の基盤が整うまでは、相談できるところがなかったということもあるかもしれません。

結果的には精神科を訪れたことは良い選択だったと思います。自分の変なところも、一応包み込んでひとりの人間として見てくれるところですし。私の主治医は君はここをこうしなさいとうるさく指示する人ではなかったので、それも安心できた理由かと思います。

他にボランティアに参加するというのでもよかったですね。行く場所と相談できるところがあれば。自分が話せるという体験が自分の内界にこもってしまうことを防いでくれる気がします。

もちろん、精神科を選んだことで、私は健常者という自分の可能性を捨てることになりました。でも、そのデメリットは、メリットよりはかなり小さく感じ、私はこれでよかったと思っています。とりあえず、今は。

より良く引きこもる自分であるためにも。

ひとりランチ

雑記

ひとりで行くのが不安なせいか、あまり店で食事はしない方です。そう言えば。作業所の近くに居酒屋とか天ぷら屋とかがあるのに、一度も行ったことがない。タコ焼きの屋台に寄ったことはあるけど。その程度です。

ひとりでも行けるところは、マクドナルドとかモスバーガーとかのファストフード店。こういったところなら別にひとりで行っても変じゃないかなと思って、足を運ぶ頻度も高いです。

逆にひとりで行けないところは、外から見えない、外界を遮断したような店舗。しっかりした店という感じのところは、できれば行きたくない感じ。こういったところでひとりランチというのはあり得るのかどうか未知数なところがあります。

以前ステーキ店にひとりで行ったことがありました。味はまあまあ。それ以外のことは何も覚えていません。周囲に目を向けると、自分がかなり場違いな感じであるのが分かってしまうからでしょうか。料理にだけ集中してサササと帰りました。

レストランも行きにくいです。日中はどうしても主婦とかが何組も来ていて、その大半は女性。たまに子どもが大人の谷間にいるぐらい。女性でもない人がひとりでしかも日中からというと、何か訳ありかと勘ぐられそうなきがします。

あー。思い出したらレストランに行ったこともありました。ステーキ店といっしょ。料理が運ばれてくるまで何もすることがなく、周りを見てもつまらないし、スマホは持っていないからネットも見られないし。しかたなく水にしつこく口をつけていただけ。

料理を味わってもおいしいとか言い合う相手もいないので、単にもくもくとどんな味なのか知るというだけの単純作業。周りは笑顔なのに自分だけ無表情で。こういったところに行くとしたら、作業所のレクで行くときぐらいです。

本当を言うと、お金があったらリーズナブルなフランス料理を食べに行ってみたいと思うのですが、ひとりではどうしても勇気が湧いてきません。こういったところをひとりで予約するのも気が引けます。

30も過ぎて、どんなところがおいしいとか、自分が住んでいる地域ですら分からずにいるってどんな人生なんだろう。行って目を見張るほどおいしいという経験もなく、単にあー普通においしいと無感動な感心の仕方をするばかりで、それ以外の喜びが湧き上がってきません。

ファミレスくらいなら、何とか許容範囲。近くのファミレスでひとりで食事したりして。ここでも目的はただ食べるだけなので、さっさと料理を口に運んで足早に帰るのみ。

ランチにも行けない独りぼっちはわびしい。

いっそロボットでも持って行って人工知能に話し相手になってもらおうか。それはそれで余計寂しいような気もするけど。

豪華なレストランは縁がないと諦めるか。せめて食べることぐらいは楽しみたいのに。