A leaf in a bottle

とある精神疾患者の日常

福祉ってどんなものか

ある内職をやっていたときのことです。知的障がいがあるM哲という男性が内職を始めようとしました。その内職はある紙の枚数を何十枚か数えることから始まります。M哲はいつもと同じように数え始めました。でも、実は彼にとって、数えることはとても苦労することのひとつです。

彼は一応物を数えることはできますが、よく間違えます。数の数え方をきちんと教わることができなかったのかもしれません。他の人と同じようにやろうとしますが、結構な確率で数を飛ばしたり、数え間違えます。お金の計算もそうです。桁の概念もあやふやなので、500を50と言ったりすることもよくあります。

今日はその内職でM哲の不正が発覚し、スタッフに大分怒られていました。紙の枚数を数えたかと聞かれ、数えたと嘘をついたのです。でもすぐ間近にいたスタッフをだますことができず、お説教となってしまったのでした。

でもこの内職で怒られることになったのは、割と最近になってから。それまでは紙の枚数ではなく、別の分厚い冊子のほうを数えていたため、割と数えやすかったこと。そして。多分誰も数えたかどうか詰問しなかったため、数える工程をこっそり省略していたのだと思います。数えていたら数が合わずに何度も数え直すはずですから。

M哲は何度も怒られながら、何回も紙の枚数を数えていました。そして何度も間違えていました。紙の枚数を数えることも仕事に入っているとスタッフはM哲を責め立てます。M哲は作業工賃がちょっとでも欲しいので、早くやりたいのになかなか進まず、苛立っていたのではと思います。

この状況を内職をしながら聞いていました。確かに、数えることも仕事のうちです。他の人が面倒でも数えているのに、ひとりだけ数えないというのでは公平ではありません。

でも。本人のプライドをねじ曲げるような形で、その人が不得意なことを厳しく追及し、きちんとできないと許さないというのが少し引っかかりました。同情したわけではありません。私はM哲が嫌いですし、彼が守銭奴みたいに工賃に固執するのをうっとうしく思っていました。

ただ、こんな風に他の人がいるところで、できないことをことさら怒られなければいけないものだろうか、と思いました。彼が数えられないことは、しばらく見ていればすぐに分かるはずです。その苦手に真っ向から向かい合わせて逃げることを許さないのは、福祉のすることだろうか、と。

福祉って、できないことを認めてくれるものじゃないのだろうか。いたずらに苦しめることは、その人の尊厳を踏みにじっていることにはならないか。

親が子どもに苦手を克服するために鬼になるというのは、まあ分かります。でも、福祉施設の職員は親の代わりではないし、またその必要もないはず。数えるのが苦手なら、別の形でその人がやりやすいように支援できないものなんだろうか。

やみくもに間違えたらダメだと目を吊り上げるより、ここまで数えられましたねと言って、不必要な罪悪感を与えるでもなく、プライドをへし折るでもなく、その人が今できることを大事にしてあげてほしい。

━━と、頭の隅でそんなことが思い浮かびました。

利用者を尊ぶ気持ちが欠けているような。そういう違和感がありました。

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

2017年になりましたね。

またひとつ歳をとるので、この歳になるとあんまり嬉しくない……。

 

今年は精神障がい者3級の手帳の申請をするつもりでいます。

親も高齢になってきたので、私がある程度収入があった方がいいでしょうし。

就労移行支援にチャレンジするか、あるいは就労継続支援A型の作業所に行くとか。

もう障がい者として就労する方向でいます。健常者としてでは雇ってもらえないでしょうから。

あぁ、とうとう自分が望んでいない仕事を、死ぬまで続けることになるのか……。

生活するためだけに。

B型作業所にずっといられるなら、それでよかったのに。

 

休所中の間に自分の顔を鏡で見て、気持ち悪いということを改めて感じて落ち込みました。

こういう人間が生きていくにはどうしたらいいんだろう。

 

暗い気持ちでの新年スタートとなりました。

とりあえず最初の第一歩。

良いお年を

27日は更新が難しそうなので、年内の更新は今日で最後にします。

どうぞ良いお年をお迎えください。

それでは、また2017年に。

優劣をつけるクセ

私には他の人と比較してしまう癖があります。他の人が褒められていると、その点と自分の能力とを比較して。自分の方が優れていると思うときは少しは落ち着いていられるのですが。自分の方が劣っていると思うときは、自分の方が上でないことを、いつまでも妬んでうらやましがって失望して落ち込んで。

人にはそれぞれ長所や短所があるもので、ひとりの人間が全てできることなどないというのに。他の人が目立っていると、自分の方ができるのにとか心の中で思うことがありますし、逆立ちしてもかないそうにないときは相手の人間性を批判して粗探しをしたりします。

自分の方が優れていないと優越感に浸れませんし、劣っている方に置かれると、居場所や人気を奪われたような気になって、とても孤独を感じます。私にとって自分が優れているということは、自分が目立ってスポットライトを浴びるためには大事なことで。

他の人が自分を脅かさないか、密かに探っている自分というのは、あまり好きにはなれません。いつもそういったことで他人と競争をしているような気がして、段々と自分にできないことが積み重なってくると、耐えられなくなってどこかに引きこもりたくなります。

私が私のままで受け容れられたという経験がほとんどないからでしょうか。付き合うのに何かメリットがあることを示さないと、誰も自分の方を向いてはくれないような気がするんです。

ある場面では他人が主役で、時には自分が主役になる。そういうことは人生では普通のことなのでしょうが。私は自分が目立つということにかなりこだわっていて、優れているということにとても神経質で、負けたくないと結構張り合っています。

友達がいませんでしたので、他の人の優れた世界というのを知らずに生きてきました。そういう意味でも、他人が優れていることを心から喜べませんし、何より我慢できません。

そこには自分の居場所を奪わないでとか、自分の方を見てという切実な願望が垣間見えます。

そこまで分かっていても、なかなかこの癖は消えません。気づいたら他人に勝った負けたの勝ち負け思考になっていますし、そこには優劣をつける癖が出ています。今の私は過去の私より多少はマシだと思いはしても、満足したと感じられないからです。

こうしていつまでも優劣を追い求めても、あとに残るものは何もないでしょうね。一時的な自己満足以上のものは手に入りません。自分にとって何が大事なのかも分からないなんて。

私という人間の色は、他人のいろんな色をやたら真似してゴチャゴチャで意味不明。自分の輪郭も自分がよく分かっていないという有様。

社会は優劣主義だから、そこに入るためには優劣に敏感なのは仕方がないかもしれませんが。私の場合は病的に過敏になってしまいました。

時には社会から切り離された私を眺めることも必要みたいです。

他人に大事にされない私

前回病院に行ったという記事を書きましたが、あれから「他人に大事にぞんざいに扱われること」に対して敏感になってきました。医者だって人間ですから、合う人、合わない人はいて当たり前なのですが。もしかしたら私だけがこんな扱いなのかも、と猜疑心にかられてしまいました。

思えば他人との関係はいつもこんな感じ。私にサービスを提供しようとする人は、何かしら事務的で平坦な感じ。温かく笑顔で迎えてもらえたということもあまりなく、ほとんどが一時的な「お客さん」として扱われます。

客だから仕事だからとしぶしぶ相対しているような気がして。だからいつも何かをしてもらうときはとても嫌な気分になります。そういう思いまでして他人と接するのが嫌なので、他人との交流は避けることが多いです。

今の作業所は、準精神障がい者ということで、お客さんとしてではなく、精神疾患を持った人として迎えてくれています。まあ温かく迎えてくれているかは少し自信がありませんが。

作業所にいる間は他の人とも結構しゃべったりできます。でも外に出ると、誰も笑顔で迎えようとしてくれる人はいないので、私も「お客さん」であるところから外に出られません。

このあたりで社会との距離を感じるわけですが。自分では埋めようにも埋められず。あなたを受け容れないという雰囲気で、私も一時的にその場にいる以外は帰りたくなります。

他人に温かく受け入れてもらえた経験があまりないと、こういうところで問題が出てくるみたいです。心理学で言う、「基本的信頼感」というのが持てなかったのかもしれません。

私は他人にとって「大事でない人」でしかなく、そのために孤独になるのは仕方がないことだと思っています。誰かの「大事な人」になりたいと思っても、何だかよく分からないまま誰とも縁遠い感じになります。

私が社会の中で自由になるのは、今のところ作業所しかないわけです。でも施設のスタッフからは病気じゃないから働きなさいとか言われたりして。作業所の外の社会には、全く何とも縁を持てないというのに。

最近は冷静に分析をする自分というプライドを保つのがバカバカしくなり、すっかり感情の起伏に飲み込まれるようになってしまいました。非現実的な観念にも、簡単にバツをつけることができなくなって。

精神の状態が悪くなっているのは確かです。でも、それを支える私って一体何だったかよく分からないし、分かっても今同じようにあるのか分からないし。

他人に大事にされないでも、そんなこと気にしないと笑ってしまえたらいいのに。本当に私にとって大事なことを大事に守っていけたら。クヨクヨしながらそんなことを想像しています。

感染拡大中

前回の記事から病院に行ってきました。2か所も。1か所目は大きな総合病院。2か所目は大きめのクリニックです。

1か所目の総合病院では、自身の症状を正直に答えたつもりでした。でも、不定愁訴では病状がぼやけるみたいな言い方をされ、感染症に関しては、風邪でもないし肺炎でもないといともあっさりと否定され、最後には精神科に通院していることを伝えたせいか、気にしすぎとか気のせいみたいなニュアンスをほのめかす言い方をされました。

ずっと連続して体調が悪いと言ったのですが、相手にしてもらえませんでしたし、作業所で何人も風邪みたいな症状が出ていると言ってもまともに取り合ってもらえない感じでした。

そのときは割と頭痛やだるさが少ないときだったので、症状が出ていないからと精神病者の不安みたいなことに断定されてしまいました。薬も何も処方してもらえませんでした。

2か所目も大体似たようなもの。ただし自分からインフルエンザの検査をしてほしいと頼んだので、インフルエンザが陰性であることだけは分かりました。でも、診断は1か所目とほぼ同じ。神経過敏とか過剰不安みたいな扱いで、一応責任論からかうがい薬だけ出されましたが、必ず治ると断定してきました。

1か所目の内科の診断は、その次の日からのどが腫れてたので誤診だと思います。2か所目も作業所の人が複数感染していることを全然考慮してもらえてないので、的確な診断なような気がしません。

なぜこう思うかと言うと、作業所で体調を崩す人が段々増えているからです。スタッフもひとりまたひとりと体調を悪化させています。現在はさらにひどく、数人を除いてほとんどがマスクをして風邪にかかったと言っています。なかなか回復しません。

スタッフは常勤の女性スタッフKが腸炎で休養中。非常勤の2人の女性スタッフは片方が痰のからんだ咳をし、もうひとりはもう数週間も完治しないまま。

なんか異常だと思います。たかが風邪で作業所の大半が倒れるなんて。しかも延々と繰り返し体調が悪いままで、風邪がこんなに長引くとはとても思えません。でも医者にはいくらそう言っても誰も耳を貸しません。

私は結局医者に治してもらうことを諦め、身体を温めることに努めました。汗をかくほどしっかりと。そうしたら一気に症状が悪化。ダウンして週末はずっと寝込んでました。鼻水はズルズル出てきて、くしゃみも頻繁。のどの痛みや痰が出てきて、鼻声に。頭はガンガン傷みました。

その代わりに、寒気や悪寒はなぜか消えました。例年と同じような体温コントロールですむようになってきました。

作業所では今日もマスクしている人がほとんど。そのほとんどが医者から風邪だと診断され、治っていません。

ここまで広がるところを見ると、空気感染や飛沫感染で間違いないと思います。でも原因は誰も調べてくれません。施設長Hも保健所に相談する気配さえありません。

自分が匿名で保健所に通報してみようか。そんな気持ちで揺れ動く今日この頃です。

長引く不調

先月の頭からずっと身体の不調が続いていて。風邪かなと思いつつ一か月たってしまいました。

体調はなぜか全快に至らず。そこそこの状態としんどい状態とを行ったり来たり。

風邪にしてはやけに長引いて、せきはあまりないのに頭が時々ズキズキと痛み、鼻水は少し、倦怠感はしつこいぐらいまとわりついてきます。

ネットで調べてみたら、他の病気の可能性もあるようで。

おとなしく病院に行こうかと思います。

作業所でも風邪をひいている人が今は2人。ひとりはメンバーでもうひとりはスタッフ。なかなか治らないと言っています。

でも、その前に風邪をひいていた人が3人ほど。そのうちの一人は肺炎になって入院してました。

何か関係が……?

カビとか肺炎球菌とか、マイコプラズマとか、細菌性の風邪なのか。

それにしても、何で自分は回復しないんだろう。自然治癒力が落ちているのは確かだと思うけど、ここまで治りが遅いと他にも原因があるような気がする。

最悪、結核じゃないといいんだけど……。

逆に病院でただの風邪ですって言われたら噴火しそう。