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A leaf in a bottle

とある精神疾患者の日常

仲がいい幻想

T秀さんは私に最初に親しく話しかけてくれた人だと以前書きました。私が一番仲良くしたい人です。彼がいたおかげで私は明るく話せる場所ができたのだと思います。でも、私はカウンセラーの先生に、T秀さんは友達ではないと言っています。それは心の底からの正直な気持ちです。

T秀さんはいろいろと嬉しいことを言ってくれました。私がもっと早く作業所に来てくれたらよかったのにと、私のことを喜んでくれたこと。今でもそのときの言葉が残っていたりします。私にちょっかいをかけるのが面白いらしく、結構相手になってくれます。十才近くも年上ですが、同い年のような気がしました。

なぜ友達と呼ばないのかというと、その理由もいろいろあります。彼は他にも仲のいい人がたくさんいて、時と場合によって接する相手をころころ変えることのできる人だったりします。私が相手をしてくれないと分かると、ぱっと他の親しい人に鞍替えしたり。そこら辺の変わりようは、場合によって傷つく原因でした。

嫌がっているのにしつこく何かを勧めてきたり、悪のりが過ぎる場合もあります。悪気があるわけではないのでしょうが、時々過剰にちょっかいをかけてきて迷惑だと感じることも。こちらの抵抗を無視して悪ふざけをするときは若干イラッとします。

そして。思想信条の決定的な違い。宗教家系のせいか、特定の政治団体を鵜呑みにして応援していたり、風俗があるから男は助かるという旨の発言をしたり。自身も風俗に足を運んで行為に及んだと聞かされました。

彼のいろんな欠点はそれでも我慢ができましたが、最後の風俗に関しての考え方を目の当たりにし、私の彼に対する友情感はブツッと切れてしまいました。私も宗教に入っていますが、その宗教では風俗を肯定していません。それを差し引いても、女性が男性の欲望を満たす存在というその考え方に私は真っ向から反発しました。

でも私は何も言いませんでした。あなたの考えは世間の男性一般的には多いかもしれないが、人権を考えれば間違っている、とか。ただ、私はそういうのは嫌いだからあまりそういう話をしないで下さいと伝えたのみでした。

彼の思想を否定することはしませんでした。代わりに私も彼に自分の信条に踏み込ませないようにしました。友達ではないと書いたのはそれが理由です。笑って話をしたり一緒にどこかへ出かけたり。そういう表面的なボランティアみたいなことはできますが、心の奥底で、私は彼を信頼していません。私と彼が立っている場所とはかなりの隔たりがあり、埋められない溝も存在するようです。

友達がいたことのない私は、一時は彼を独占しようと必死に努力したりもしました。けれど、やっぱり彼は純然たる男で、私とは違うのです。この溝は最後まで埋まることはないと思います。

友達がどういうものなのか、私には最後まで分かりそうにありません。私の方が彼よりも軽度な神経症なので、彼の支援めいたことをボランティアでやるぐらいです。相手になって欲しそうなときは相手になり。

彼の方は私を仲のいい友達だと思っているでしょうか。友達と呼ぶには私は力不足なのかもしれません。