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A leaf in a bottle

とある精神疾患者の日常

運動音痴歴30年

私の運動音痴は小学生からの長い歴史があります。体育の授業はいつも嫌で、なかったらいいのにと常々思っていました。基礎体力作りとかで行う腕立て伏せ、腹筋・背筋を鍛えるトレーニングはみんなについていけずにへたばってましたし、逆立ちとか鉄棒とかもダメでした。

逆立ちは特に向かい合った相手の足を支える際、かなりの確率で取り損ね、転倒させてました。なので一緒にやりたくないと思われていました。特に筋肉を使う運動は置いていかれることが多く、平均にも到達してないという自覚は多少なりともありました。体力測定のときも低い点数がずらずらと並んだものです。

とはいえ、割とやりやすい競技もありました。バスケットボールはなぜかあまり苦にならず、面白いので好きでした。シュートして決まったことも何度となくあります。小学生の頃は体格で勝負という感じではなかったので、大きなボールに苦戦しつつも、競技には参加できていたと思います。

逆に完全に相性が悪いものも。その代表格が野球とサッカー。野球はどれだけゆるいボールがきてもバットを空振りさせるだけで全然打てず。打率0パーセントといっても過言ではありません。飛んできたフライ球も目測を誤ってあっさりと落下させますし。毎回野球の授業のたびに怒られてました。

サッカーは体幹が全然安定してないせいか、リフティングもまともにできないし、飛んできたボールを胸で受けるのも下手。ついでに蹴ればボールを空振りと、全くとるところがありません。ゴールキーパーをするように言われても、全然ボールを止められませんでした。

こうしてみると、スピードのある球技とか足を使う種目は苦手だったんだという気がします。スピードに身体感覚がついていかず、遅れをとって戦力にならないと評されることがほとんどでした。バスケットボールは筋肉をあまり使わずにすみましたし、当時は早いパス回しでもなかったし、不安定な足を使わずにすんだので、まだ自分の身体感覚内で処理できたのだと思います。

今もたまに精神障がい関係のイベントで、一年に一度ほどソフトボールの大会のビラが舞い込むことがありますが、一度も参加したことはありません。応援に渋々行ったのが一度。でも小学生の時の苦い体験を思い出し、応援に行くのもやめてしまいました。誰かの代わりに参加させられ、恥をかくのはまっぴらだと思ったのだと思います。

自分の身体感覚を解放してスポーツに熱中する、そんな幸せは私には味わえませんでした。

運動音痴歴は東京オリンピックの年までにさらに伸びそうです。