A leaf in a bottle

とある精神疾患者の日常

死にたいと思うとき

作業所に通うT和という女性の口癖は「死にたい」です。もう死にたい、生きていてもいいことがない。来るとほぼ毎回口にするため、またかと思って誰も取り合いません。スタッフも同じことを何度も言う彼女に、手を焼いているような印象を受けます。他の人が嫌な思いをするでしょうと言っても、あまり効果はありません。

私は彼女の死にたいは「つまらない」という意味だと理解しています。誰にも注目されないとき、やることがないとき、暇な時間に耐えかねるとき。彼女が口にするのは大方そんなときで、誰かにかまってほしいという気持ちが隠れているような気もします。彼女の死にたいは本当に死にたいのではなく、何か楽しくない現状を嘆いている。そんな風に見えます。

作業所では死にたいという感情を表す人はほとんどいません。こんな風に思ったことがあると過去形で話す人がほとんど。わざわざ自分の自殺願望をほのめかしに来る人は先ほどのT和と他一名ぐらい。みんな自分の現在を必死で生きていて、あまりに簡単に弱音をこぼすことはないのだと思います。

でも、誰に言わなくても、死ぬほどつらいと感じることは数限りなくあるだろうと私は思います。私も死にたいと思うことは一度や二度ではありません。今現在も消えていなくなれたらと思うことがあります。だからT和さんの「死にたい」はきっと中身が違うだろうと思いつつ、彼女の「死にたい」を否定するつもりはありません。

私の「死にたい」は存在自体が嫌がられるとき。例えば私の顔を見て子供が走って逃げていくとき。私は何もしていないのに、気持ち悪いとか変質者だということで逃げて行かれます。こういうとき、私は自分がどうしたらいいのか分かりません。自分自身が拒絶された瞬間を、空白の出来事として引きずって帰ります。悲しいと思う暇もなく。

学生のときはよく席替えのときにつらい思いをしました。隣や前の女子が、嫌だといった感じの声を上げ、ひそひそ話を始めます。顔をしかめたり、私から席を離したり。私のことが嫌なのだということはすぐに理解できました。いなくなれたらこんな思いをしなかったのに。自分の中に虚無感を抱えていました。

今現在も社会に受け入れられる人間ではありません。性別が曖昧だからかもしれません。嫌がられて拒絶される体験を思い出し、どこにも行けないでいます。私が作業所を卒業できないのは、そういう理由からでもあります。

T和さんが死にたいと思うとき、私は自分の死にたいを思い出します。彼女の声に耳を傾けるのは、そういう自分を救いたいという意味もこめられています。