A leaf in a bottle

とある精神疾患者の日常

何を言ってるのか分からない

私は子供の頃からあまり人の話が理解できない方でした。言われたことを理解するのに割と時間がかかるのです。そしてその回路を通しても意味がつかめないものは何度聞き返しても意味不明のままでした。それで人と話すのが怖くなったときもあります。今は大分マシになってきてますが、それでも意味不明なときは多少なりとも存在します。

最もひどかったのは小学生のときだと思います。そのときは聞き返すことがよくあると人から指摘されたものです。それぐらい、他の人の発言が頭の中で意味に変換されないということがありました。分からないときは3度聞いても4度聞いてもさっぱり分かりません。聞き返しすぎてこれ以上聞き返しにくい状況では、適当に相槌を打ったりしてごまかしていました。

頭が弱かったのかもしれません。以前にも書いた通り、発達障がいかと思う理由のひとつはこの症状です。自分はどうして人の発言が理解できないのだろうと悩んだ時期もあります。でも具体的にどう治したらいいのか分かりませんでした。そしてこのときは専門家に相談するという選択肢は思いつきもしませんでした。

ちなみにこの症状は今も消えてなくなってはいません。今は大分知識や常識によるスキーマが増えたからか、そういったもので補完されてこういったことは起こりにくくなっています。でも、この症状が現れやすい状況も存在して、そういうときは苦手だと意識してしまいます。

具体的には電話で会話するときです。相手の表情やしぐさといった感情表現が見えず、音声による認識のみになります。私はこういった音によることばの認識が苦手です。音楽なども歌詞を見ないと正確には何を言っているのか不安になるときがあります。チャゲ&飛鳥の「Say Yes」は発音が独特で話し言葉とはかけ離れた歌い方なので、何を言っているのかところどころ分かりませんでした。

電話を聞くときも多分こんな感じです。相手がきちんと正確に、しかも意味のまとまりごとに意識して発音してくれないと、まるで外国語を聞いているようなちんぷんかんぷんな内容になります。正直、電話の応対は怖いです。かなり緊張します。相手の名前などは音声認識のみでは非常に心もとなく、一気に心拍数が上がります。間違えたら大変ですから。

話の内容を前後の文脈から推測して追いかけるというのも、割と早くに限界がくるものです。そういうときは仕方なく聞き返します。これでもマシな方だとしたら、小学生のときは一体どんなだったのか、恐ろしくてあまり思い出したくありません。

今はテレビでもテロップが流れる時代。苦労する場面は減りつつありますが。苦手な場面がいつやってくるか。日常にすぐ近いところに緊張感の種は存在してました。