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A leaf in a bottle

とある精神疾患者の日常

不幸と仲良し

私はいつも、幸せよりも不幸せに近い人間だと思います。幸せだと感じる瞬間がきても、どこかでそれを信じられなかったり、あるいはこういった幸せは長く続かないと否定したり。素直に喜ぶことがなかなかできません。後で必ず不幸がやってくるという警告が常に頭の中にあって、やがて起こる些細な不幸にもやっぱりそうだと納得してしまう自分がいます。

どうしてこんなに幸せに対して疑り深いのか、自分でもよく分かりません。自分にとって幸せと思える出来事は数少なく、その後の不幸によって幸せがつぶされたり消えてしまうということを何度となく経験して、幸せは自分にはやってこないとすっかり絶望してしまったのかもしれません。

私にとっては、幸せになって喜ぶより、幸せが失われて嘆くことの方がダメージが大きくて耐えられないのだと思います。だから常に不幸が身近にあることを自分に警告して、いざそういった事態になったときに心のダメージを少なくしているのでしょう。幸せが訪れて喜ぶより、幸せが去っていくことを恐れています。

T秀さんという人と知り合い、友達のいなかった自分にも仲良くできる人ができました。私からというよりは、向こうからこちらにアプローチしてくれます。でもいろんなことがあって、彼とは考えが合わないということを思い知りました。その点で彼を批判してもまるで無意味だということも。

今もそのときの落胆がとても大きかったことを覚えています。友達ができて幸せだと感じたときよりもずっと強く、絶望に突き落とされました。そしてまたもや、幸せだと思って油断したからだという風に思う癖が出てきました。幸せを過信しすぎると、いずれまた不幸になると。

私の人生が全てこんな調子というわけでもないのですが。概ね不幸せな人生を耐えて生きていると思っている私には、すっかり幸せに対して徹底的に疑う姿勢が身についてしまいました。どんな幸せなときでも、いつかこの幸せは終わるかもしれないという不安や冷めた感情と隣り合わせになっています。

幸せになんてどうやったらなれるのか、よく分かりません。どんな良いときも、悪いときの裏返し。良いことがあれば必ず悪いことがある。自分はその悪いことのために備えなければいけない。ほとんど無意識の強迫観念と化しています。このような観念が間違っていると分かっていても、不幸はいつまでもついてきて、そんな観念を振り払うことができません。私には幸せなんて巡ってこない。

こういった根拠のない絶望の中にいて、私は虚無感の中をさまよい続けています。境界性パーソナリティー障がいという病態の特徴にある、慢性的な空虚感に一致するような気がします。

不幸仲良し人間は、いつ開き直れるようになるだろう。幸せになれない自分を受け容れる日はまだまだ先のことになりそうです。