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A leaf in a bottle

とある精神疾患者の日常

自死に際して

ニュースを見ていると、今でも時々中高生が自ら命を絶ったという報道を目にします。こういった事件が伝えられるたび、亡くなった子たちは一体どんな思いで死んでいったのだろうという風に思います。周りの人は助けられなかったのか。その子は本当に死ぬしかなかったのか。その子の最期を思うと、とても切なくなります。

私は、残念ながら自ら胸を張って生きられるほど強くありません。生きているというよりは多分に生きながらえているという感じですし、死ぬことがとても怖くて、どうしても実行に移すことはできませんでした。私は自分の人生が終わったと思っていますが、それでもまだ生きることができています。

私と死を選んだ子たちとは、一体何が違っていたのだろう。ふとそんなことを想像します。私がその子たちより強かったとは思いません。私も同じ境遇ならもしかしたら自殺していたかもしれません。

自ら死ぬ瞬間というのがどれほどの恐怖なのか、私にはおおよそ見当もつきません。死んでいった子たちが最期を迎える場でどんな風にその恐怖と戦ったのか。怖くないはずはありません。恐怖に震えながら死ぬと分かっている行為に及ぶのです。その胸の内にはこらえがたい悲痛な叫びが存在するように思います。

こういったニュースを見るたび、何とかして助けてあげたい気持ちになりますが、私も偏見や差別に無力な人間で、何もしてあげられることはありません。彼らが何を必要としているのかも、私には分っていません。

こういうときに大人はどうすればいいのでしょう。その子たちのつらい現実を見ずにただ生きろと言うことは、その子たちの救いにはならないような気がします。いじめを受けることで感じるのは、みんなから拒絶されたり否定されて自分が存在する場所がないという気持ちかもしれません。自分の存在そのものを否定されたりして、自分を肯定するものすら信じられなくなっているのかもしれません。

自殺することが悪いことだということは、子供にだって分かります。でも、自分が存在することで誰かに迷惑をかけるとか、生きていくことさえ許されないと感じたとき、なかなかその圧力に反抗できないものです。このとき、もしその子たちが自分にも味方がいると感じられたなら、どれほど心強いでしょうか。

世の中には他人を蔑んだり、自分が優越感を感じるために他人を陥れたり、他人の痛みを全く共感できないサイコパスが存在します。学校も例外ではないということですね。こういった奴らに合わせる必要なんてない、と言いたいのですが。まだまだ死を望む子たちに届くほど心に触れる言葉でもないような気がします。

侮蔑する言葉を受け取る必要なんてなくて。死なずに自分で思う通りに生きていけたらいいのに。亡くなった子たちと自分を重ね合わせ、とても重く感じています。