A leaf in a bottle

とある精神疾患者の日常

最後は捨てよう

他人の意見に耳を傾けることはとても大事なことです。自分の意見に固執していても良い結果が出てくるとは限りません。他の人の意見を参考にした方が考え方の幅が広がっていろいろな可能性を考慮できるというのは確かに一理あります。その点で言えば他者の存在はとても良いことなのですが。

私もいろいろな人間関係があって、「他者」という存在とは無関係でいられません。作業所に行けば必ず他者はいますから、引きこもりのときとは違って必然的に外部と接触することになるわけです。当然のようにこうした方がいいあぁした方がいいといった忠告やアドバイスを受けたりもします。

どちらかというと自分の狭い世界に固執しがちな保守的な人間である私としては、あまり他者の「ものの見方」は好きではありません。何かを意見されたとき、まず反感の方が先に湧き起こります。よく知りもしないのに勝手なことを言ってという風に。そうして自分の心の中に立った「さざ波」に揺れ惑います。

自分に好意的な人から受ける場合はあまり混乱はしませんが、その意見が自分の意見と対立するとき、人間関係の力関係によっては口をさしはさめず、否定したいのにできないというジレンマに出くわします。相手との関係悪化を恐れて、面と向かって反論ができないためです。

自分に好意を持ってくれた人が何かのきっかけで自分を批判する側に回ったときも、相手との関係上本音が言えません。何も言わずに離れて行く人も自分に対する無言の批判があったりしますが、批判を聞いてそれに従いさえすればそれでいいのか疑問が残ってしまいます。

私のためを思って言っていると思っても、自分の心の声と衝突する場合、どうすればいいのか結構悩まされます。他者の意見は大事で、聞かなくてはいけなくて、見放されたくなくて、ひどい人になりたくなくて、でも自分の本音とは違っていて。意見を聞かないというのは、自分を閉じてしまうことで。でも自分を開いた結果、嫌なことなのに無理に従うというのもつらいです。

私は、最後は潔く捨ててしまってはどうかと思います。他の人の意見に縛られてしまうと、身動きが取れなくなって、結局自分がしんどくなってしまいます。意見を聞いた結果、それが自分の中でどうしても受け入れられないなら、せめて悩んでから捨てるのもありかなぁと。

自分が決めたことの責任は自分が負わなくてはいけませんので、選んだ結果失敗しても誰にも文句を言えませんけど。自分の気持ちが他人の意見と違うところにあって、他人の意見に縛られて悲鳴を上げそうなくらいなら、ダメだったと手放すこともまた選択できるような気がします。

無理に他人の顔色を気にするのも結構疲れるものです。自分がまだ他人の意見の可能性を考えられる場合はそれでよし。できないなら、手放して自分の気持ちと向き合うのも大事かと思います。

なんかうまくまとまりませんでしたが。一応今回はこのへんで。