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A leaf in a bottle

とある精神疾患者の日常

知性とプライド

雑記

私は自分が頭のいい人間だと思っていました。学校でも頭がいいという風に言われ、得意になっていた時期があります。その名残は今でもしっかり残っていて、自分は知性的だという風に思い込んでいます。それが私のプライドなのです。

私より頭が良くて学歴がいい人を見ると、うらやましくて悔しくて。嫉妬で叫びたくなるぐらい。思えば私は秀才にはなれても、天才にはなれませんでした。それなのに、一貫して勉強や努力をせず、結果、今は学力崩壊という事態になってしまいました。何が分かるのか、もう何も分からないのです。秀才が落ちぶれるというよくあるパターン。

以前の「昔の夢」という記事でセンター試験が300点にしかならなかったことを書きました。大学は惰性で通るような簡単なものではなく、三流の大学でさえ門前払いのようなものでした。未だに大学生と聞くと自分は負けたという思いが強く湧き起こります。

小・中学生の頃は記憶力がよく、それだけでテストは大体カバーできていました。範囲がそう広くなかったのもあります。ただ、その頃からしょっちゅう早とちりして失敗するという事態は引き起こしていましたが。それでもテストであまり苦労した記憶はありません。

ところが、段々と学年が上がるにつれ、しだいに勉強に身が入らなくなってきました。そしてやがて、答えを見てもどうしてこうなるのかすぐには分からなくなってきたのです。特に国語がそうです。どこが重要な箇所なのか分からず、テストのときはノートに書いたことを短期記憶に放り込み、何となくノートの情報に合致することを書いていました。

こんなその場しのぎ的な対処の仕方だったので、やがて勉強の仕方そのものが分からなくなりました。どうやって自分で学んでいくのか分からずにひたすら混乱していたと思います。でも、同級生には教われず、心配性で、気のすむまでひたすら先生に質問することもできず、うやむやのまま中間・期末のテストに対応していただけでした。

そうして起こったのは、過去の学科内容がほとんど頭から消失した恐怖。教科書に書いてあることが自分の実にならず、丸ごとなくなってしまったようでした。そのときの無気力感や絶望といったら。プライドが全て否定され、単に傷つく以上に相当ショックなことでした。

今もし大学に入る勉強をしようとしたとして。範囲が広すぎてどこをどれだけやればいいのか見当もつきません。自分で知性を磨くやり方を誰にも教わってきませんでした。

大学に行きたいです。自分のプライドとしていたものを取り戻すために。でも、費用もなく知性もなく、涙が出そうなほど頭に知識が入ってきません。私が入れるのは、資金が十分あったとしても、入学試験のない通信制大学だけです。

きっと身の丈に合った等身大の知性を見るべきなんです。私はほどほど勘がよくても、東大生ほどには賢くないです。考える頭もありません。論理立てて考えることもうまくはやれません。

自分の知性イメージを、もう一度最初から洗濯し直すときがきています。