A leaf in a bottle

とある精神疾患者の日常

身近な人の死

命は無限にあるものではなく、死ぬことは避けられません。当たり前のことですが、その死が果たしていつ来るか、そうそう簡単には予想できず、体調が急変してようやく死と隣り合わせになるという人が多いような気がします。

作業所でつい最近旦那さんが死んだと打ち明けてくれた人がいます。その人は全然取り乱す素振りを見せなかったので━━と言うより、家事が忙しくてなかなか作業所には来られていなかったので、まったく気が付きませんでした。

家でそんなことになっていたなんて。体調を崩したのか、入院したというようなことをちらと聞いた気がしますが、それも本人に根掘り葉掘り尋ねることでもなかったので、すっかり忘れていました。

配偶者が死ぬという体験はどんなものか、私には全然想像がつきません。悲しくていっぱい泣いたとその人は言いますが、果たしてその言葉だけで理解できるようなものなのか。悲しみの渦の中で自分を保つこともやっとだったのではないかと想像します。

私の場合、身近な人の死といえば両親です。もう70歳を超え、短ければあと10年もしないうちにいなくなるかもしれません。残念ながら私と両親との関係は冷淡なものになっており、両親が死んでもその確執のために私は泣くこともないと思います。

でもそれを、父親をかなり前に亡くしたY成さんに言うと、そんなことないよ、絶対泣くよと断言します。私はそんなものかなぁと疑問に思い、納得することはありませんでした。

私は孤独だ孤独だと言いながら、実はまだ本当の孤独ではありません。今は両親がいます。両親が死んでもきょうだいがいます。でも、両親ともきょうだいとも冷淡な関係であり、ほぼつながりはないような状態なので、いずれひとりで生きるようになるだろうとは思っています。

そんな冷めた家族で、私は身近な人の死を迎えるわけです。そのときのことを考えてもリアルに想像することはできませんでした。私のことを理解してはくれない父や母が死ぬ際、私はどんな感情でいるだろう。なぜか、こうなるかもという感覚が湧いてきません。

身近な人を亡くしたとき、人は「対象喪失」を経験します。自分の愛着のある人や物を失ったとき、心に穴が開いたように悲嘆にくれたり無気力になったり絶望に打ちひしがれたりするようです。自分が愛情を持った対象を失うことで心に外傷を負うのです。

なので親は依存していた「対象」であるはずなのですが。機能不全家族である私の家族関係では、両親の死で強い悲しみを呼び起こすかどうか、自信がありません。でも両親が死んだとき、私の何かが終わるのも事実で。

私はその時が来たとき、どうなってしまうのでしょうか。きちんと見送ることも拒否して逃げてしまうかな。家族の中には複雑な感情が横たわっていて、死について考えることを避けている自分に気が付きました。