A leaf in a bottle

とある精神疾患者の日常

「今、ここ」の幸せ

作業所で時々話題になるのが、どういう風に病気になったかということ。それまでどんなつらいことがあって、どんな風に病気を発症して、ついでにどういう経緯で病院まで行ったかということが話のネタになります。

そんなときに思うのが、「今、ここ」での私。過去の私と比べたら、「今、ここ」の私は遥かに幸せだと思います。社会に追い出されることもないし、嫌いな人もいますが、私を受け容れてくれる場所があります。

そして会話をすることのできる相手。過去の私は友達などおらず、学校ではずっと机に伏して寝ていました。学校にいられなくなってからは、図書館に居場所を求め、でも会話ができる人はいませんでした。

一番大きなのが、カウンセラーと出会えたこと。自分のことを包み隠さず表現できる人ができました。私は、私自身を生きることを始められるようになった気がします。

健常者としては居場所も話せる相手もいなかった私。それを思うと、「今、ここ」の私は過去の私より幸せです。

なので、一応私は「過去」を捨てることにしようと思っています。過去のつながりのある人や出来事、ほとんど全て。その代わり、「今、ここ」の自分を大事にしようと。完全に捨てることはできなくて、つらい記憶や呪縛から逃れることはできませんが、「今、ここ」で感じる楽しいことや嬉しいことは、過去の自分の何かにとらわれることなく、大事にしたい。そんな風に思います。

気づけば30代もかなりの時間がたち、いつまでもこのままでいると思っていたのに、20代の自分より衰えている部分を感じるようになりました。そこにある日常の喜びは手に取って眺めてみないと、簡単に流れていってしまう。そんな危機感を感じ始めたのも確かです。

以前にも書きましたが、作業所のレクに参加していろんな場所、店を訪れるようにしています。それが今私が手にできる幸せな気がしました。ひとりなら、多分家にしかいませんから。

過去のことは大切です。過去が自分が自分であることを形作るのだと思います。でも。後悔や悲しみ、絶望が強く残ってしまうなら、「今、ここ」の自分からいろんな人生の宝物を知る方が、少しは生きてきてよかったと思えるんじゃないか。自分の人生の時間がどんどん減っていることもあって、そんな風に思うようになりました。

ひとりでずっといて、ひとりだけの時間をずっと生きてきて、「今、ここ」で誰かと笑って話ができることは確かに宝物だと思います。「過去」にそんな幸せがなかったとしても。

もうあと何年かたったら、40代を迎え、一般の人が手にする幸せはやってこないとは思いますが。宝物を少し体験できただけでも、私の人生は悪いことばかりではなかったといつか言える日が来るかもしれません。