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A leaf in a bottle

とある精神疾患者の日常

愛の渇望

雑記

私にはできないことの中のひとつ。それは、恋愛をすること、そして結婚をすること。こういったことは性的マイノリティーの私には成就させることができません。念のために言うと、性愛の対象がないわけではないです。ゲイなので。でも、私は恋愛をすることが許されていません。

曖昧な性別にしたまま大きくなって。でも周囲とかなり隔たりがあることは小さなときから嫌というほど分かっていました。機能不全家族で育ち、アダルトサヴァイバーである私。その中で私は、ある程度、宗教によって自分を支えていました。

ここまで生きてきたのも、宗教を信じることによって耐えてきたような感じです。でもその宗教は、同性愛を容認しませんでした。宗派によってその解釈はまちまちですが、同性愛を歓迎しているということはありません。

冒頭で恋愛をすることが許されていないと書いたのはこういった理由からです。私の信じる宗教は私の性愛を禁じています。なので、私は男性と付き合うことができません。肉体関係に発展することも許されません。

アメリカでは私と同じような人がどういった性生活を送っているのかよく知りません。もしかしたら教義の通り同性愛絶対禁止を自分に課しているかもしれませんし、逆に同性愛を仕方がないこととして、教義に反する形でも同性と付き合う人もいるかもしれません。

私は前者です。宗教を捨てることはできません。それは私が生きてきたよりどころでもあって、ナンセンスな観念だと言われても、私を生かしてくれたものだから否定することはできないのです。

でもその結果、私は恋愛をすることができなくなりました。そしてその先にある結婚も。同性との間で肉体関係を持つことも死ぬまでありません。一生童貞のまま、誰とも肉体関係を持たずに死んでいくことになりそうです。

これを、不幸なんかじゃないと言い切ることは、私にはできませんでした。もしちゃんとした男として生まれていたら、誰かを好きになって、誰かとずっと一緒にいて、2人で幸せになるという選択肢もあったのかな。そう思うと、とても切なくてやりきれません。

私も誰かに愛してもらいたいのに。

この世に生まれた意味を半分くらいもぎとられたんだろうか。宗教や神を恨みもしましたし、自分の性をひたすら責めて、でも死ぬまでずっと持ち続けなければいけないもので。いっそのこと、無性愛者なら悲しくならずにすんだのに。

ひとりでずっと生きてきて、ひとりでずっと寂しいのに。この先もずっとひとりで。

愛が、欲しいなぁ。でも、やってきても仕方がないので、期待していません。

人生80年だとしたら、あと40と数年。まだまだ長いです。