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A leaf in a bottle

とある精神疾患者の日常

引きこもりの私へ

社会的引きこもりになってかれこれ10数年。高校を出てから引きこもって、ただ時間を無駄に費やしたので、今になってそのツケがいろいろ出てきました。自分の時間も可能性も閉じていく一方。嘆いてみても戻ってきません。

でもその当時はまるで行ける場所もなく、他に頼りとするところもなかったので、その頃の自分を、仕方がなかったんだと許したいと思っています。たとえ間違っていたとしても、私には自分で社会に食らいついていくすべはありませんでしたから。

あの頃の私が引きこもりにならずにすむとしたら、どんなことが必要だったのか。カウンセリングでも大分前に、自分から話題にしたことがあったと思います。でもあまり記憶には残っていません。考えてもよく分からなかったからかなと思います。

今でもあまりよく分かっていませんけど。でも、今この歳になって思うのは、もっと早めに精神科に行けばよかったということ。自分がキチガイと認める認めないの問題ではなく、行く場所と相談するところが必要だったのだと思います。

もちろんそれが精神科ではなく保健所であったとしても全然問題ありませんでした。行政に支援を求めることができていたら、私の困りごとに対して適切な救いの手が差し伸べられていたかもしれません。

でも、これが思いの外難しいことでした。何しろ、当時は引きこもりの知識もあまりなく、こういう自分を誰にどうしてもらったらいいか分からなかったのです。親は頑なに社会に出ることを嫌がる私に、そっとしておくという配慮をしてくれましたが、私のことをどうしたらいいか分からないようでした。

引きこもりが社会問題だと取り上げられたのはいつ頃だったでしょうか。私が最初に精神科にかかったときも、医師にニートですと自分から言ってもニートって何と聞き返されました。そういう社会的な認知が整う以前の人は、かなり肩身が狭い思いをしたかもしれません。

そう考えると、行政に相談しても、引きこもりが取り扱われなかった可能性もありますね。引きこもりの社会的認知の基盤が整うまでは、相談できるところがなかったということもあるかもしれません。

結果的には精神科を訪れたことは良い選択だったと思います。自分の変なところも、一応包み込んでひとりの人間として見てくれるところですし。私の主治医は君はここをこうしなさいとうるさく指示する人ではなかったので、それも安心できた理由かと思います。

他にボランティアに参加するというのでもよかったですね。行く場所と相談できるところがあれば。自分が話せるという体験が自分の内界にこもってしまうことを防いでくれる気がします。

もちろん、精神科を選んだことで、私は健常者という自分の可能性を捨てることになりました。でも、そのデメリットは、メリットよりはかなり小さく感じ、私はこれでよかったと思っています。とりあえず、今は。

より良く引きこもる自分であるためにも。