A leaf in a bottle

とある精神疾患者の日常

挨拶が苦手

 挨拶が苦手です。近所の人ともあまり挨拶をしません。挨拶をしてきた人には挨拶をしますが、基本的に自分から挨拶することはほとんどありません。そのせいか、特定の人を除いてはほとんど誰も挨拶してきませんし、大方無視して家の中に入ったり出かけたりしてその場を去っていきます。

作業所ではどうかと言うと、入った当初は挨拶しませんでした。自分からおはようございますと声をかけていくのが苦痛で、そんなことをするぐらいなら挨拶しないほうがよっぽどマシと思っていました。

施設長Hは、一般の社会でも挨拶は基本だと言い切ります。好き嫌いに関わらず、社会の中では挨拶すべきだという論理です。もちろんいやでした。したくなかったし、挨拶したくない人はいたらいけないのかと腹立たしく思ってもいました。

今は一応作業所の玄関先で声を上げておはようございますと言います。それは、挨拶すべきだという慣習に従ったというよりは、相手に挨拶されてからじゃないとこちらから挨拶しないのは、高慢で偉そうに思われるのではないかという不安からでした。

この、朝のおはようございますと言っておはようございますと挨拶をする、この一連のルーティンワークは何とかならないかと今でも思います。何だか自分から仲良くしてねとごまを擦ってふれ込んで回るような感じ。我慢して耐えるのがつらいです。

でも、こんな風に挨拶が苦手なせいか、人に距離を置かれることはしばしば。私が今いる作業所をやめた元メンバーでさえ、私を見たら道を変えたり無視して遠ざかる人が何人かいます。そういえば地域活動支援センターでもこういう人が何人か。

何か嫌がることをしたというわけでもないと思います。単純に出会ったときの雰囲気の悪さで、近づきたくない人とか、会いたくない人とか、そういった方向に分類されることが多いようです。

私もわざわざ好かれようと心を開いて声をかけに行くことなんてしないので、どんどん距離は開いていき、やがては顔を見かけただけで嫌がられます。

前にも書きましたが、私には心理学の基本的信頼感と呼ぶものがあまりありません。他人は自分のことを悪く思っているという猜疑心が前提なので、他人に心を開く前に疑ってかかってしまいます。

逃げられることは仕方がないことだと諦めています。こちらも出会ってあまり嬉しいと思わないので、そういった雰囲気も向こうに伝わって空気は最悪になります。

私は人に好かれない、というのはほぼ真実となっています。

じゃあ挨拶もしないし人に嫌われるのなら、友達もしゃべる人もいなくて寂しいね。と思いきや。世の中にはこういった「壁を作った人」の壁を苦もなく乗り越えてくる人がいて。毎日ほとんど必ず話しかけてくる人、相手をしてくれる人というのがいて。

おかげで作業所では孤独にならずにすんでいます。まあ孤独でもひとりでいられるので別に構いませんけど。こういった人のおかげで人生が豊かになったのは確か。作業所の中だけですけどね。

ありがたいことです。