A leaf in a bottle

とある精神疾患者の日常

居場所をなくしたら

今の作業所に通い始めてから今月で10年経ちました。通い始めた当初から人間関係やその他のことが全てうまくいったということはなく、人間関係も、通い始めて間もなくは全く築くことができませんでした。

従来の人見知りに加え、周囲と壁を作る自分の性質が悪影響を及ぼしたことは今でも容易に想像がつきます。T秀という人が話しかけてくれて、そこから次第に話す人ができるようになっても、他者への悲観的な見方はあまり変わりませんでした。

当時の日記を見るとそれがよく分かります。あの人に嫌われているとか怒らせたとか、些細なことでもネガティブにとらえて悪いほうにばかり考えてしまう。そんなことが稚拙な心理分析とともに書かれていました。恥ずかしくて読む気がしません。

今では人間関係で苦労した当時のことなど、あまりよく覚えていませんが。それはただ単に忘れているだけなのだと思います。うまくいったのは、そういう環境があったから。迎え入れてくれた場所と、通所者の人と。

私自身は作業所に通い始めた頃と、ほとんど何も変わっていません。なので新しいところに身を移すことになったとき、私は人間関係の冷たさに参ってしまうと思います。それが分かるので、今の作業所を去ることができないでいます。

少し前のことです。一番新しく来たメンバーがA型施設へと移っていきました。B型を卒業したのです。最低賃金がもらえるA型に移ることで、おそらくその人は今より格段に高い給料を手にするでしょう。

でも私はうらやましいと思いつつ、動く気にはなれませんでした。

先日のこと。私は珍しく作業所の職員を言葉で非難しました。ある事情でメンバーの女性が提案したことを門前払いした女性常勤スタッフのK道に、それはおかしいでしょと食ってかかったのです。

それはそれですみましたが。よりにもよってそのメンバーの女性は、一番聞く耳を持たない施設長にその話をしていました。予想通り激しい非難を浴びていました。施設長は話がまとまってない人とは話ができないとか、その女性の欠点を厳しくあげつらい、その人の意見をたたきつぶしました。

単に備品を別のものにしてはどうかという提案だったのに。

こういうところにはいたくないな。正直、そのときは心からそう思いました。障がいを持った人に理路整然とまとめて話せ、できなければ聞けないなどと。どうしてそういう精神的虐待みたいなことしかできないのだろう。

でも。すっかり忘れていましたが、私には社会に出る場所などありません。居場所はこの作業所だけなのです。もちろん、他にも作業所はありますが。そこでも同じように誰かと仲良くなれるとは限りません。

この施設長は市の偉い人に糾弾されるべきだと思います。メンバーのことを考えているようで、実質、健常者の理屈を暴力のように振りかざす、こういう人は、同じように誰かに厳しく追及されればいい。

居場所が他にない私は、そこで口を閉ざしました。怒りはずっと胸の内にあります。作業所を出ていく日までまだまだかかりそうです。